1月8日、我が町に戦場カメラマン渡部陽一さんがやってきた。

午後2時からの講演であるが、午前9時から並ぶ。

待ち時間、小説を読む。

500名のキャパに、900名が押し掛けた。
若い女性が多い。先頭に並んだのは女子中学生であった。
いよいよ開場。前から4列目の中央に腰掛ける。
テーマは「家族の絆 世界100国以上の家族と過ごした時間」。

やがて、彼は現れた。
「戦場カメラマンのワタナベヨウイチです。」
会場から大きな拍手と笑い。
彼は明らかに、テレビの人気者である。
みんな好奇なまなざしで見ている。
その口調で一躍人気者になった。
彼は、大きな声で話す。
身振り手振りで、舞台の上を行ったり来たり。
喉が渇くためか、水をよく飲んでいた。
パソコンに取り込んだ映像をプロジェクターに投影しながら。
戦場カメラマンになった理由。
イラク戦争がなぜ起こった理由。
アメリカ軍が使用した、劣化ウラン弾による放射能の影響のこと。
戦争では、いつも子供が犠牲になっていくこと。
そして最近行った、アフガニスタンでのロボットを使った戦争の驚愕。
テレビでは伝わらない話の数々。
最後に質疑応答。
みんな競って挙手。3歳の子供まで質問する人気ぶり。
握手してくれ、サインしてくれだの。
どんな質問にも丁寧に答えていた。
好物はフライドポテト
写真を撮る時は4秒。人はその時間で自然と笑顔になるという。
ズボンはユニクロ。ベストは300円。
日本で食って、外国で痩せる。
一番大切なものは家族
その次に仕事
戦場では、安全第一
仕事は死ぬで続けると。
最後に彼が云ったメッセージは、どこでもいいから海外に行ってその国を知ること、だった。
あっという間の時間だった。
帰りに見た、夕焼け空。

<
地元紙の記事>
それから、ブログを書くのに1週間。
私は何をしていたのか。
彼のブログをずっと読んでいたからである。
彼は戦場だけでなく、世界のあちらこちらを旅していた。ヨーロッパ、ロシア、中国、アメリカ等々。
地震の災害現場にも取材しに行っていた。
イラクでは、自衛隊も取材していた。ひげの隊長、女性隊員の姿がそこにはあった。
最初の頃はコメントに答えているが、ある日からコメントがなくなっている。
忙しくなったわけだ。
最近、彼のTVでのあまりの露出度に対して
ある新聞紙のコラムに、元戦場カメラマン と名乗ったらどうか、と掲載されたらしい。
そんな批判はあたらない。
テレビという媒体を存分に利用して、戦場の状況を伝えようとする狙いがあるのだから。
カメラマンになって18年、やっと、注目されたんだもの。
世界中を回って、そこであらゆる場所での生きる術を知ったのだと思う。
彼はtwitterをやっている。
今日の呟きは、
「こんにちは、戦場カメラマン渡部陽一です。産經新聞出版から発売されました、「世界は危険で面白い」がiPhone版で報告させていただきました。御都合よろしき方は是非。http://itunes.apple.com/jp/app/id412373502?mt=8」である。
昔出した本の売り込みである。
注目されている今、だからこそである。
今迄の戦場カメラマンは死んで有名になった。
彼は、生きて有名になった。
また戦場に戻るだろう。
ずっと生きて、生きていてほしいと願うばかりだ。
<渡部陽一さんのホームページ>
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